男が何回セックスしても飽きない女性には2種類あります。

1つは言うまでもなく、愛している女性です。つまり「好き」という気持ちがあれば、男はその女性と何回セックスしても飽きない。

これはカップルに限った話ではなくて、いわゆる「プロの女性」に対しても、男は同様なことを思います。

おなじ風俗の女性を繰り返し指名する男とは、その女性のことが大好きな男です。そういう男がその女性を指名しなくなる時とは、決まって「愛がなくなった時」です(お金がなくなった時、というのもありますが、この項の主旨とは関係ないので、ここでは触れません)。

というわかりやすい話のほかに、もう1つ、男性が何回セックスしても飽きない女性像があります。

ぼくに言われてもどうすることもできないので

お互いに工夫しあってエッチしている場合、男はその女性とのエッチに対して「飽きた」とは思わないです。

エッチを工夫するというのは、お互いに「こういうエッチをしてみたい」というのを正直に言い合える、というのと同義です。

編集部から毎週、ぼくの元にメールで届けられる恋愛相談を読んでいたら、この手の話を彼氏としない女子が意外と多いことに気づかされます。

「わたしはあなたのアナルを責めてみたいと思っています」とか「あなたの手足を縛っていじめてみたいと思います」とか、もっとノーマル(?)なことで言えば「騎乗位で3回イってみたいです」とか、そういうのを彼氏に言わない女子が多いです。

彼氏に言わないで、なぜぼくに言ってくるのかがよくわからないのですが(ぼくに言われてもどうすることもできない)、彼氏に言えばいいと思うんですが、おそらく「彼に言うのが恥ずかしい」ってことですよね。

人類の歴史は、この退屈さからの逃亡の歴史

愛があればエッチに飽きないという考えって、いわば幻想です。どのような種類の刺激も、繰り返し味わっているうちに「ふつう」になってくるからです。やがて「ふつう」が「退屈」に思えてきます。

人類の歴史とは、退屈さからの逃亡の歴史だといっても過言ではないのではないかと思えるほど、退屈さと、そこからの逃亡って、古今東西の人々の行動の動機になっています。歴史を振り返って、あなたはそう思わないですか?

なので、愛しの彼が「彼女とのエッチ、飽きた」と思っていたとしても、「ああ、彼氏はわたしのことが飽きて、ほかの女性と付き合いたいということか」と決して思わないことです。

「エロは善」と思えたとき、「飽きないセックス」が誕生します

冒頭に「愛があればエッチに飽きることはない」と書きました。次に「愛があるとエッチに飽きないなんてのは幻想だから、もっと工夫しないと」と書きました。
この2つの提言が矛盾しあっていると見る人が、おそらくほとんどだろうと思います。

でもこの2つは矛盾しないどころか、根っこで1つにつながっているんですよね。

その根っことは「エロは善」というものです。

おそらく多くの人は、高校生や大学生の頃、「隠れるように」エッチし始めたはずです。「わたし、この彼と今日もエッチするの!」と公然と言ってエッチしてきた人って、ほぼいないですよね。

思春期に「エロは隠れてすること」と思ってしまえば、そのあとも、よほど自省的にならないと「エロ=どことなく悪いこと」という考えが染みついたままです。

エロは善です。明日を生きるパワーをお互いにチャージしあう行為です。生きる希望を見せてくれる行為です。「ひとりで生きているんじゃない」と思わせてくれる、人の生温かい体温を交換しあう優しい行為です。

あなたも彼も「エロは善」と思えたとき、はじめて「飽きないセックス」が誕生します。(ひとみしょう/文筆家)

(オトナの恋カツ編集部)